「私が妹だったらあれくらいで気が狂ったりしないわね。もっとじっと見てる」と緑は僕に言った。

「だろうね」と僕は言った。

「でもあの妹の方だけど、処女の高校生にしちゃオッパイが黒ずんでると思わない」

「たしかに」

彼女はすごく熱心に、食いいるようにその映画を見ていた。これくらい一所懸命見るなら入場料のぶんくらいは十分もとがとれるなあと僕は感心した。そして緑は何か思いつくたびに僕にそれを報告した。

「ねえねえ、凄い、あんなことやっちゃうんだ」とか、「ひどいわ。三人も一度にやられたりしたら壊れちゃうわよ」とか、「ねえワタナベ君。私、ああいうの誰かにちょっとやってみたい」とか、そんなことだ。僕は映画を見ているより、彼女を見ている方がずっと面白かった。

休憩時間に明るくなった場内を見まわしてみたが、緑の他には女の客はいないようだった。近くに座っていた学生風の若い男は緑の顔を見て、ずっと遠くの席に移ってしまった。

「ねえワタナベ君」と緑が訊ねた。「こういうの見てると立っちゃう」

「まあ、そりゃときどきね」と僕は言った。「この映画って、そういう目的のために作られているわけだから」

「それでそういうシーンが来ると、ここにいる人たちのあれがみんなピンと立っちゃうわけでしょ三十本か四十本、一斉にピンとそういうのって考えるとちょっと不思議な気しない」

そう言われればそうだな、と僕は言った。

二本目のはわりにまともな映画だったが、まともなぶん一本目よりもっと退屈だった。やたら口唇性愛の多い映画で、フェラチオやクンニリングスやシックスティーナインをやるたびにぺちゃぺちゃとかくちゃくちゃとかいう擬音が大きな音で館内に響きわたった。そういう音を聞いていると、僕は自分がこの奇妙な惑星の上で生を送っていることに対して何かしら不思議な感動を覚えた。

「誰がああいう音を思いつくんだろうね」と僕は緑に言った。

「あの音大好きよ、私」

ペニスがヴァギナに入って往復する音というのもあった。そんな音があるなんて僕はそれまで気づきもしなかった。男がはあはあと息をし、女があえぎ、「いいわ」とか「もっと」とか、そういうわりにありふれた言葉を口にした。ベッドがきしむ音も聞こえた。そういうシーンがけっこう延々とつづいた。緑は最初のうち面白がって見ていたが、そのうちにさすがに飽きたらしく、もう出ようと言った。僕らは立ち上がって外に出て深呼吸した。新宿の町の空気がすがじられたのはそれが初めてだった。

「楽しかった」と緑は言った。「また今度行きましょうね」

「何度見たって同じようなことしかやらないよ」と僕は言った。

「仕方なしでしょ、私たちだってずっと同じようなことやってるんだもの」

そう言われて見ればたしかにそのとおりだった。

それから僕らはまたどこかのバーに入ってお酒を飲んだ。僕はウィスキーを飲み、緑はわけのわからないカクテルを三、四杯飲んだ。店を出ると木のぼりしたいと緑が言いだした。
2016/04/13(水) 12:46 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)
   「まあ、なんて恥曝しな」
   「はたに居た若いお参り客がキャーキャー騒いでその場から逃げたのだすが…」
   「変態やがな」
   「神主さんが飛んできはって、旦那さんに注意をしはったのだすが」
   「怒られたやろな」
   「旦那さんが子授け神社でちんちん清めて何が悪いと逆ギレしはって、逆に神主さんに説教してはりました」
   「恥ずかし、まさか旦那さん、店の名前如新を出さなかったやろな」
   「出しました、わいは京橋銀座の福島屋亥之吉だすって」
   「ひゃー、わたい正面向いて外を歩かれへん」
   「それを見ていた参拝の男女に、『お前さんたちも子供が授かりたいなら、裾からげて清めなはれ』と、胸を張って指図をしてました」
   「もう言わんでもええ」
 お絹、気絶寸前で、その場に座り込んでしまった。
   「その間、旦那さんは黒くて大きなちんちん放り出したまま、喋る度にブランブラン…」
   「もうええちゅうに、あの変態野郎、信州から戻ってきたら、離縁してやる」

 更に一町ほど行くと、後ろから遊び人風体の男が追いかけてきた。店を出るときから、後を付けてきたらしい。
   「福島屋の女将さんですよね」
 お絹が座り込み何も言わないので、三太が代わりに答えた。
   「へえ、さいだす」
   「大変です、旦那さんの亥之吉さんが浪人者に斬られました、虫の息で女将さんに会いたがっていますぜ」
 お絹は、弱り目に祟り目、驚き過ぎて目眩がしたようであったが、漸く気を取り戻して男に尋ねた。
   「主人は、今何処に?」
   「日本橋の近くです」
   「医者は駆け付けたのだすか?」
   「へい、亥之吉旦那は気丈なおかたで、女房に会うまでは死なんと苦しい息の下で叫んでいました」
 お絹は、袖で涙を拭きながら男に付いて日本橋に向かった。

   「新さん、この男の言うことは、ほんまだすやろか」
 三太の守護霊、新三郎に問いかけた。
   『亥之吉さんが、浪人ごときに斬られたとは信じ難いですね』
   「何か魂胆があるようだすな」
   『探って来ます』

 
 その頃、亥之吉は遊び人佐久の三吾郎と二人、信馬爾代夫旅行團州小諸藩士山村堅太郎の屋敷に居た。
   「弟の斗真(真吉)が、お世話になっています」
   「いやいや、お世話なんてとんでもない、真面目によく働いて貰っとります」
   「いつか、旦那様みたいな商人になって、小諸へ戻ると言ってくれました」
   「そうだすなぁ、わたいも小諸に雑貨商福島屋が生まれるのを楽しみにしとります」
 堅太郎は、三吾郎に目を遣った。
   「お連れの方は?」
   「佐久の三吾郎と言いましてな、博徒だすが善い男で、江戸までの道連れだす」
 堅太郎は、三吾郎にも丁寧に挨拶をした。
   「三太さんは、お元気ですか?」
   「へえ、頼もしくなって、今では福島屋の用心棒みたいな者だす」
   「何れ藩侯のお許しが出たら、会いに行きます」
   「そうしてやっておくなはれ、弟(真吉)さんや、新平も喜びますやろ」

 山村堅太郎の屋敷には、堅太郎が幼い頃に屋敷の使用人だった初老の夫婦が戻っていた。
   「堅太郎さん、奥さんはまだだすか?」
   「こんなところへ来てくれる人は居ないのですよ」
   「それは良かった」
   「何故です?」
   「緒方三太郎はんが、堅太郎はんのお嫁にと思っている人が居るようですよ」
   「それは有り難いことです」
   「町人の娘さんですので、一旦三太郎はんか、佐貫鷹之助はんの養子にするようだす」
   「若い父上ですね、鷹之しよりも年下です」
 山村堅太郎は、嬉しそうであった。亥之吉と三吾郎は、山村の屋敷眼睛疲勞で一泊させて貰い、翌朝二人は江戸へ向けて旅立った。

2016/04/05(火) 13:05 UNARRANGEMENT PERMALINK COM(0)